佐世保市の歴史

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明治時代に入ると海軍において九州西部に軍港の建設が求められた。いくつかの候補のうちから当時人口千人余りの寒村だった佐世保が適地とされ、鎮守府の設置以後急速に海軍施設と街の整備が進められた。1902年には村から一足飛びに市制を施行、九州でも五指に入る大都市として発展していったが、第二次世界大戦末期に空襲で市中心部が焦土と化し、終戦と海軍解体とともに人口の急減をみた。

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戦後、公選初代の市長中田正輔を中心に旧軍港市転換法による佐世保港の商港への転換と九十九島を中心とした西海国立公園の指定による観光地としての基盤整備を図るが、朝鮮戦争勃発とともに米軍を中心とした国連軍の朝鮮戦線に向けての前進基地として再び軍港としての機能を担うことになり、現在まで米軍及び海上自衛隊を中心とした軍港としての機能と商港としての機能の棲み分けが大きな課題となっている。